Psykelopedia

サイケデリックトランスやゴアトランスの曲やアーティストをおすすめします。

サイケデリックトランス・ゴアトランスの魅力を語る

どうも、Psykeです。今回は、作者が考える「サイケデリックトランスの魅力」について熱く語ってみようと思います。おこがましいですが、この記事を読んで曲を聴いてサイケを好きになってくれる人がいたら嬉しいです!

 

束縛の中でこそ創造力が発揮される

サイケデリックトランスはジャンルとしての縛りが非常に厳しい音楽といえます。BPMも130〜とおおよその相場が決まっていますし、主要なビートの刻み方も数えるほどしかありません。ポップやEDM、ハウスなどのメジャーな音楽と比べると、圧倒的に発展性が無いように見えてしまいます。

psytrance101.hatenablog.com

しかし、サイケの沼をよく掘ってみると、必ずしもそうではないことが見えてきます。例えば、新しいアーティストが毎年現れ、新しいスタイルが続々と研究されています。DEKEL、Klipsunなどが良い例ですね。psytrance101.hatenablog.com

psytrance101.hatenablog.com

またここ数年、Armin van Buuren率いるダッチトランス勢やMarLoなどのアーティストもサイケの消化を始め、サイケとオランダのトランスの両方で表現の多様化が進んでいます。

youtu.be

 

ジャンルとしての団結感

最近はVini Viciなどの台頭によって人気が増してきていますが、サイケデリックトランスのルーツはあくまでもアンダーグラウンドです。サイケを作ってもまず儲かりません。しかしそれでもサイケのアーティストを志す人は後を絶えません。商業性ではなく、純粋にそのジャンルへの愛ゆえに、作曲に取り組んでいるアーティストが数多くいます。

こちらは、オフビートサイケで有名になってきたドイツ人アーティスト、Day Dinのショートドキュメンタリー。時には苦しい生活を強いられながらも、レーベル仲間と助け合って音楽を繋いでいく。そんな彼らの勇ましい姿が描かれています。

youtu.be

psytrance101.hatenablog.com

 

病的なものは美しい

美しさには、病的な要素が付随していると思います。美しい花も、いつかは枯れる。止まない雨もなければ、永遠の晴れもない。どんなに美しい夢でも、いつかは覚めてしまう。裏、汚さがあってこその美しさです。

そんな諦観・無常観・悲壮感を湛えた曲が、サイケデリックトランスには数多くあります。特にアンビエントサイケは、こうした感情表現がとても豊かです。

youtu.be

個人的な感想ですが、こうした作品と比べると、EDMには暗部を抱擁してくれる面が欠けているように感じられてしまいます。明るさで上書きするような印象、と言いましょうか。

サイケデリックトランスは、ダンスミュージックでありながら、悲壮感を湛えている。非常に現代的だと思います。

psytrance101.hatenablog.com

 

イントロの充実と日常との連続性

私はもともとメインストリームのEDMが好きで、それが色々と変に発展して今に至るわけですが、今でもハードスタイルのように強制的にアゲをもたらしてくれる曲を聴きたい気分になることもあります。ただ、私はずっと陽気でいられる人間ではないので、序盤にいきなりハードなメロディーを持ってこられると鬱陶しさを感じることが多いです。

そういう時はトランスです。トランスはイントロがしっかりしたものが多く、徐々にメロディーを繋いでいって、滞りなくサビに持ち込んでくれます。これはサイケやゴアに限らずトランス全般に共通の性質だと思いますが、サイケやゴアではその特徴がさらに顕著です。

イントロが充実していて、日常との断絶が大きくない、接続に無理がない…それゆえに好きというところが大きいです。これに共感してくれる方は結構多いんじゃないかと思います。

www.youtube.com

 

人間世界のアナロジーとしてのサイケ・ゴアトランス

時間の流れる速さは一定とされていますが、感覚的にはそうではありません。例えば睡眠時と覚醒時では時間の感覚が明らかに違います。時間の上に覚醒と睡眠の波、感情の波、安定と不安定の波、生と死の波などの色々な波が乗っかって、人生をかたちづくっています。そういった一定でない波こそが人間的であると言えるかもしれません。

一定のリズムで刻まれるベースラインは物理的な時間を表し、その軸上で様々な波が動いていく…という風にトランスを解釈すると、サイケデリックトランスやゴアトランスは、人間の生き方そのものを表していると言えます

サイケデリックトランスやゴアトランスのは低音と上層音のコントラストが一層明瞭なので、他のトランスジャンルと比べても尚更このアナロジーがしっくりきます。

 

非日常性の作り方、二つのアプローチ

ブログに書く作品を選ぶ時、私はしばしば「世界観があるか」という観点を導入します。世界観性を生み出すには非日常性がある程度必要だと思いますが、その非日常性の生み出し方が面白いのです。

ダークサイケとネオゴアをサイケ・ゴアトランスの両極端として考えてみましょう。ダークサイケはメロディーを使わず高音域の効果音のみで空間を構築する場合が多いです。一方でネオゴアは全音域をメロディーで充填し空間を構築するようなものが多く見られます。低音と高音の二つは共通で、中音域をどう扱うか、という違いがあります。

先ほどは低音を時間と喩えましたが、ここで低音を大地、高音を天空に準えるなら、中層は人間が住む世界ということになります。ダークサイケの場合は中音域をごそっと抜き、人間性を排除してやることで宇宙の一部としての自己を再確認させてくれます。ネオゴアの場合は中音域を音で徹底的に満たし、意識から人間性を排除することで逆説的に宇宙との一体性を露わにしてくれます

逆の手法なのに似たような効果が得られるのが芸術的に面白いところです。

 

 

人間的な汚さの存在と言葉の無意味化、これによる非日常と日常の接続

メインストリームのユーロトランスとサイケ・ゴアトランスの決定的な違いの一つに「汚さの許容」があると思います。例えばASOTやFSOEなどは、美しい女性ボーカルやハーモニーによって純真無垢な世界観を構築しようとします。人がいない神くさい空間であり、それはそれで良さがあるのですが、あえて言うなら嘘臭いです。それに対し、サイケやゴアは捻れるような汚い効果音や民族的なサウンド、不協和音などを使いこなす作品が非常に多く、もっと人間的な臭さが入り込んでいます。

ちょっと汚めの音遣いのほか、「サンプリング」もサイケデリックトランスやゴアトランスの重要な特徴の一つです。サンプリングの内容には大きな意味が見出されていない場合がほとんどですが、これにも効果があると思っています。人間的日常空間という言葉だらけの世界に対して、言語の無意味化によって人を現実から一度切り離す効果です。

この二つの作用は相反しています。前者は人間性を確保する方向に作用し、他方は人間性を排除する方向に作用します。

サイケデリックトランスやゴアトランスでは、このような相反する要素が入り乱れた結果、非日常性と日常との連続性が共存する状態となり、「非人間的・非社会的」ではない別の空間、言うなれば「没人間的・没社会的」な空間が生じているのだと思います。

www.youtube.com

 

こんなことから、サイケデリックトランスやゴアトランスは日常からの離脱ではなく「内なる自然を経由した再接続」ではないかと私は思っています。私はこのジャンルのそういうところが好きです。

サイケを好きになって2年ほどになりますが、まだまだ未知のアーティストが溢れています。興味を持たれた方、ぜひ、調べてみてください!

 

一緒にどうぞ

psytrance101.hatenablog.com

psytrance101.hatenablog.com

psytrance101.hatenablog.com