Psykelopedia

サイケデリックトランスやゴアトランスの曲やアーティストをおすすめします。

サイケデリックトランスの批判芸術的な魅力

どうも、Psykeです。

今回は作品のレビューではなく、読み物系の記事です。よろしければお付き合いください。

 

サイトランスを批判する言葉にBoa(ボア)があります。ゴアトランスのGoaと「つまらない」を意味するBoreを掛け合わせたもので、以下のような特徴がある作品に適用されます。

  • 上層音は多少変化するものの、キックと低音が曲を通して変化しない
  • ブレイクの後に直前と同じループを戻してくる
  • 連続的に変化するメロディーがない

こういった条件に当てはまるサイトランスはBoaと揶揄される可能性があります。ただ、Boaは極めて感覚的な概念で、何をBoaとみなすかは人によってかなり異なると思います。Boaと言われそうな作品の中にも良い作品はある、と、ここで断言しておきます。

それを踏まえた上で、こちらのMindbenderzの作品を聴いてみてください。

1:00過ぎにキックとベースのみのシンプルな構成から曲がスタート。シンバルやドラム、効果音を追加しながら直線的に展開。4:15で一度落とした後、メロディーともつかない効果音でリズムを加え、再びベースとキックを流す。5:50まで直線的に展開したのちに5:50で再び落とし、6:25から再びベースとキックを再点火。最後はキックとベースだけを残してフェードさせて曲を閉じます。

 

一言でまとめると、上で述べたBoaの条件にとてもよくマッチしている作品であることは間違いないかと思います。ですがこの曲には、ダンスミュージック全般への批判が詰まっているようにも感じられるのです。

強い低音とそれっぽい盛り上がり、この2つさえあれば、それだけでダンスミュージックとして成立するのではないか?メロディーとか歌詞とか、本当は要らないんじゃないか?

この作品に限らず多くのサイケ作品がそう問いかけているように思えます。

 

音楽は我々に物理的なメリットをもたらしてはくれません。それでも人は音楽を浴びに行く。どんなにクラブやパーティで楽しさを演出しても、それは自分や現実に対して直接的な利益はもたらさない。これに対して私は壮大な虚無感を覚えます。

ある意味、それに対して開き直っているのが上で紹介したような作品だと思います。歌詞もメロディーもどうせ何の役にも立たない…ならば、本当に踊るのに必要なものだけを抽出して、がむしゃらにそのひとときを楽しもうではないか。そういう開き直りを私は感じます。

 

踊るためだけに用意された低音とキックと展開。これ自体、批判芸術性を帯びていて非常に良いのですが、もう1つ、圧倒的な魅力があります。それは、どんなに空虚であっても、そしてどんなに刹那的であっても、自らの作品に美しさや空間性を載せずにはいられない人間の性です。

低音とキックと展開だけで、本来は事足りる。それ以上のものを与えたとしても現実に対して無力でしかない。しかしそれでもアーティストたちは、メロディーや歌詞、空間などといった意味を曲に付与し、表現をしてしまう。

この矛盾があるからこそ、サイケデリックトランスは真に虚無を体現しており、芸術と呼ぶに相応しいと感じるのです。